プロ野球の監督が関わった事件

プロ野球界を揺るがしかねない事件の一つに、1978年に行われた日本シリーズでの出来事があります。1978年のペナントレースは、セ・リーグがヤクルトスワローズ、一方のパ・リーグは上田監督の率いる阪急ブレーブスが制し、ヤクルトが初優勝だったことから初顔合わせとなりました。選手ベンチともに経験豊富な阪急でしたが、終盤でのヤクルトの粘り腰により予想以上に苦しめられ、3勝3敗の5分のまま最終戦へと突入します。

阪急の先発は足立、一方のヤクルトはラッキーボーイ的存在の松岡で、事件はヤクルトが1点リードで迎えた6回裏に起こりました。ヤクルト大杉の放った打球は遥か上空へと舞い上がったものの、レフトスタンドポール際の上をかすめたため、ホームランかファウルかのジャッジが難しい打球となりました。当時は球審以外にも外野に線審が配置されていたため、レフト線審がジャッジ、結果はホームランと判断されましたが、納得のいかない上田監督による猛抗議により、プロ野球記録となる実に1時間19分もの中断となります。

この猛抗議は後に問題視され、シリーズ終了後に上田監督が引責辞任、速やかなゲームの進行を目的として、後に抗議時間を厳格に規定するルール改正のきっかけともなっています。現在はルール改正により、5分間以上抗議をした場合、退場処分を下される可能性があります。

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